奈良のセラヴィー・ヨシカワさんの作文に影響されて
死んだ母(harue)の事を書いてみます。

【大好きな薔薇を見に秩父別に行ったとき】

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【朝のharueさんとの散歩】
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【美瑛harueさんとの小旅行】RIMG3898

【母の流した涙!】
いつも笑顔を忘れなかった母。
我儘で独りよがりで、
人とのコミュニケーションが
とれない俺をいつも優しく導いてくれた。
母から声を荒らげて叱られた事は一度もない。
いつも笑いを浮かべて諭してくれた母が・・・
2度、俺の前で涙を見せた事がある。

一度は俺が小学6年生の時、
流産をして病院から
帰って来て休んでいると・・
祖母から言われた言葉
「病人じゃないんだからさっさと食事の買い物に行け」と言われて・・・
少し悲しい顔をした。
そして兄ちゃん、
肩を貸してと言われた。
普段なら5分で着く近所の八百屋まで・・・
倍の時間がかかり、
俺の肩につかまりながら歩く母を見上げた時・・・
母の頬を伝う涙を見た。

2度目は母が65才の時、
tatuyaと家で昼食を食べている時に脳梗塞が発祥。
崩れるように倒れた母を救急車で搬送。
緊急病院からリハビリ病院へ転院して、
リハビリー中で流した涙。
まったく左半身が動かず・・
寝返りもうてなかった母。
tatuyaと俺は毎日1度ずつ交代で
手足のマッサージに病院に行っていた。
そんなある日、マッサージ中に・・・
倒れる前に頼んでいた着物が
出来上がったよと言うと・・・
もう2度と自分で着物を着れないねと
悲しそうに流した涙が2度目。

母が入院中に
父が直腸がんで死んだときも流さなかった涙を、
この時流した。
いつ・・・父の余命が無い事を母に話すか
悩み苦しんだが、
葬儀の1か月前に母に伝えた。
車いすで父の見舞いに連れて行った時も、
笑顔を浮かべながら父を励ます母をみて
凄い人だと思った。
その母が葬儀の時、
不自由ながらも自分で喪服を着る姿を
今も忘れない。
この人の血を俺も継いでいる・・・
もっと努力をしないといけない。
まだまだ父にも母の境地にもなれていない俺!
努力あるのみだなぁ~反省!

葬儀の時の日記→コチラ

そう言えばこの年、この月にIOFTの講演をしたんだった。
どういうわけか節目の時はいろんな事が重なる。(笑)

今年も楽しく生きる事が出来た。
感謝です。
残り少ない1年だが頑張ります。
今一番在庫が充実しています。
メガネを見にいらしてくださいね~♪

では又~
^0^~katsundo