蛍・共生・PTA5

同窓会にも賛同が得られ・・・
PTA/学校もしぶしぶ・・・了解!
katsundoの責任の上で実行できる事になりました。
このときの秋・・・北海道PTA連合会の全道大会が旭川であり・・・
その時に幼馴染のNと久しぶりに再会・・・
蛍の話をすると・・・母校だから手伝うとの返事・・・
造園工事は決まった。

二人で西神楽中に何度も足を運び・・・・S井先生から指導を受ける。
せせらぎの傾斜・・・・
植生は・・・・水の温度・・・などなど・・・二人とも学者でもないので・・
まったくの素人!

水は循環式ではなく・・・地下水をくみ上げ流しっぱなしにする事にした。
校長はF校長からK・・・女性校長に替わった。
K校長も最初・・・あまり賛同はしていなかったが・・・
子供たちが水遊びができると言うことで賛同していただいた。
katsundoはこの年の4月で大有小学校PTAを卒業!・・・
北門中学校のPTA会長を引き受ける事になった。

その4で入院していた時・・・・突然・・・旭川市PTA連合会の当時会長だった故N会長さんが
満面の笑みを浮かべて日赤まで見舞いに来た。
旭川市PTA連合会からの見舞い金・・1万を持って・・・

N:「勝・・・なんで来たか・・・わかるだろう」・・・この人の笑顔は天下逸品です。

勝:「俺に・・・役員をやれと言うことですか・・・」

N:「そうだ!」
「一番・・・暇な事業部を引き受けてくれ・・・」

勝:「俺はこの状態で・・・商店街も抱えてるし・・夏の都城との交流はいけませんよ!
商店街のイベントが重なるから~」
「そして事業部が・・・暇なわけないでしょ・・・(笑)^^」

N:「笑って・・・暇じゃないけど・・暇だと思え!お前しかいないから受けてくれと・・」

・・・・後で聞く事になるが「その年は九州宮崎県都城市との交流事業が10周年でした。それと
北海道PTA連合会事業で・・いじめ非行問題についてファミリームーブメント事業を新たに
旭川でおこさなければなかった・・・この企画も考えなければいけなかった。

これが旭川市PTA連合会との腐れ縁が始まる。
なにかの集まりがあると・・・・俺は10年間を・・・1万円で故N会長さんに買われたとよく言ったものです。

それともう一つ・・・問題が持ち上がっていた・・・

Nさんへの弔辞

Nさんとのご縁は、私が日赤に入院しているときに突然こられ、旭川市PTA連合会からだと、一万円が入った見舞金をいただいたことが始まりです。勝!これを持ってきた意味は分かるよな~とそう言って渡され。これは私に副会長になれということですか?とたずねると特徴のある大きな目を見開いてニャット笑い、IとYは電話一本で十円だぞ、お前は一万なのだから子どもたちのために全力で働いて貰わなくちゃ困ると、言われたのをこの間の事のように覚えています。

事業部に入ってすぐ都城との交流事業、Nさんと始めて立ち上げた「ファミリームーブメント事業」は、六十人の子どもたちと江丹別若者里に泊まり込み、いじめや非行の問題を話し合いました。突然雪が降り始め、雪の中での野外ジンギスカン、朝起きると、秋から一日にしてそば畑を覆う冬景色、その真っ白な雪を見て、綺麗だな!子どもの心のようだと二人で感動したのを覚えています。全道PTA研究大会では、OBとしてお手伝いいただき、全道大会設営では旭川らしさをだそうと言い。旭川の木はナナカマドだよな、勝!本物の木を会場に飾ろう、バックの照明の色は旭川の空の色のように青にしようと精力的にひと時も休まず動き続けたあのエネルギー、あなたの周りにはいつも人が集まり、あなたの厚い情熱は人を動かしました。

あなたが行動で教えてくれた、子どもたちへの愛情。旭川を愛する心は私たちの心に刻みこまれています。決して忘れません。

あなたの志は、私たち後輩が地域活動やPTA活動を通して旭川に広めていくことを誓い弔辞の言葉といたします。安らかにお眠りください。

さびしくなるのは、酔ったとき歌い踊る「芸者ワルツ」や、奥様の名前「えり子マイラブ」と歌う「いとしのエリー」が聞けなくなる事ですね

平成18年 1月16日

旭川市PTA連合会後輩

大川勝人

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