masahiroからバーベキューの誘いがあったので、
店を1時間早く早退。

セブンのよって焼酎とkazukoさん用にノンアルコールビールとみたらし団子を買って、
自宅に到着。

庭で囲炉裏を囲んで

さっそくバーベキュー!
食材はそんな高級なものはない。
新鮮な野菜とホルモン、安物のソーセージ、鳥串を肴に飲みはじめる。

囲炉裏

masahiroからお祖父ちゃんのkatsuyaさんの事と「どうしてメガネ屋になったのか!」聞かれたので・・・・
長い話を始める。
メガネと関係ない家族の話ですので、面白くないと思ったらスルーしてください。

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2008年頃、mixiにかいた事を
かいつまんでmasahiroに話した。
気が付くと焼酎1本が無くなっていた。

 

katsundoは

父katsuyaさん 大正7年7月27日生まれ
母harueさん 大正14年4月18日生まれ
間に生まれた。

katsuyaさんの誕生日は覚え易い・・必ず数字の7がつくから生まれは大正7年7月27日、harueさんとの歳の差は7年・・・27歳のときに結婚・・・
結婚3年後にやっと私が生まれた。
その前に死産で長男が生まれている。
だからkatsundoは本当の長男ではない・・・

katsuyaさんは小学校しか出ていない、旭川付属小学校の前身の尋常小学校卒です。
母hisaさんと父・・・・名前が分からん?後で調べます。
4人の長男として生まれています。一人女の子が死んでるので5人か~??
上3人と下2人の妹とは父が違います。
hisaさんは3人の夫と結婚している。
一度・・harueさんから聞いたのだが複雑すぎてよく覚えていない!

katsuyaさんさんは
学校を卒業後・・
旭川日産の前進の自動車会社に就職。
戦争・・・

katsuyaさんから聞いた話だが・・・
日本にいたら兵隊にとられるので満州に軍属としてわたったらしい。
katsuyaさんの肩に家計がかかっていたから兵隊に行って死ぬわけに行かないと
考えたらしい。
死んだら家族の収入がなくなるから家族全員が餓死します。

終戦・・・半年前に帰国した。満州で・・・日本が負けると思ったらしい。
珍しく家で飲んでるときにkatsundoにそんな話しをとり止めも無くしてくれた事がある。
石狩川でのんびりと釣りをしていたら憲兵に咎められたらしい!
「いい若い者が・・・・釣りを・・・非国民」・・・と怒鳴られたら・・
「俺は4年間・・・満州で死線をさまよって帰って来たばかりだと・・・・」切り替えしたらしい。

終戦・・・harueさんと見合い結婚!
私が生まれ・・・35歳で旭川日産北見支店長として赴任
40歳で旭川にもどり取締役
45歳で常務取締役 自分で旭川日産を分社して
帯広日産専務52歳で会社を辞める!
57歳で㈱北斗の代表取締役 71歳で直腸癌で平成2年5月6日死亡

若いころの趣味は登山、銃、釣り、カメラ・・・・・・等・・・・等・・・
お洒落にはうるさかった。
綺麗好きでごみ一つあっても怒られた。新聞の置き場所も定位置があって曲がっていると 機嫌が悪くなる。

何故、父のことを書こうと思ったのか・・
自分でも分からないが・・・あることで・・・
ずっと心にわだかまりがあり・・・・死んでからも・・・どこか許せなかったのだが・・・
今日で・・・・やっと・・・吹っ切れた。
その事について書いてみます。

katsuyaさん物語2に続きます
愚痴っぽくなるかもしれないので・・
嫌な方はスルーしてください。

  •  

3年ぶりに生まれた私は・・・
可愛かったらしい~小さいとき一番かまってくれたのはkatsundoだよ。
とharueさんさんから聞いた。

ほとんどkatsundoの記憶には0歳から6歳までの記憶が欠如しているから・・・
可愛がられた記憶が残っていない。昔のアルバムを見ると北見の料亭の写真とかに
一緒に写っているので・・・そうなんだろう!

katsundoが北見の中央小学校に行くころから・・・友達ができず・・・我儘の性格が起因して・・不登校気味に・・・

学校に行こうとすると腸ねん転のような激痛が走る・・・・
会社の2階が自宅だったので
階段から痛みで転げ落ちたことがある・・・・
今でもその傷が顔についている。
学校に行かないですむと思うと・・・暫くすると激痛は治る
そんなことが何度も・・・
あるとき風邪をひき・・・・注射を打つと・・・・心臓の心拍数が急激に低下・・・
新任の女医さんが真っ青になり震えていたのを覚えている。
harueさんは毎度のことなので・・・・平然・・・笑^^
そんなことがあり・・・・札幌医大に検査に行く事になった。
色々検査したが異常なし・・・最後に脳波検査・・・当時は注射針のようなものを
頭に突き刺し検査をしていた。最後の1本が神経に触れ強烈の痛みだったのを
覚えている。
医者のせりふ「痛みのあるときに検査しないと分からない」・・・・エツ・・・
当時は急行でも北見から札幌まで8時間ぐらいの距離だよ・・・無理だ!

今・・・文献を見ると幼児のときに起きる父親に対する愛情欲求の反動から
きている心因性のものだと言うことがわかる。

3年生のときに大有小学校に・・・・katsuyaさんは付属小学校に入れたかった
みたいだが見事に編入試験は不合格でした。
北見と旭川ではレベルが違い・・・大有に入っても授業はチンプンカンプン・・
さっぱり分からない。
いつも一人ぼっち~

harueさんは心配して塾に・・・それで何とか勉強は追いついた。
だが相変わらず友達はできず・・・一人ぼっち・・・家に帰ると我儘いっぱい。
katsuyaさんと3ヶ月~半年顔を合わせない事はざら~
katsuyaさんは仕事で深夜に帰宅。katsundoは中学校に入るまで7時には寝ないと
次の日に疲れが残り・・・休まなければならない虚弱体質でした。
ほとんどの病気をした。病気のデパートみたいなものです。
朝はkatsundoのほうが先に学校に行くからkatsuyaさんとは顔をあわせない。

「katsuyaさん久しぶりだねおはよう・・・と・・・」心の中で挨拶した事を覚えている。
何度も~
そんなkatsundoを見て心配してくれたのはharueさんのお兄さん
toshioさん・・・

こんな状態ならkatsundoは駄目になるから夏休みに・・・
俺のところによこせとharueさんに言ってくれた。
toshioさんは江丹別で小さな雑貨屋さんとお米の精米、新聞の取次ぎなどしていました。
江丹別の方ならみんな知っているかなぁ・・・

toshioさんのところで何をしたかたと言うと・・・
店番、お客様のお茶酌み(バスの時間まで待ち合わせで村の人がお店にいることが多い)
、新聞の折込、米ぬかの整理と・・・
katsundoを引っ張りまわしてくれた。3年間にわたり夏休み・・冬休みと・・・
これでkatsundoは変わった。

小学校の高学年から中学校1年の頃・・・・俺は何で生きてる!・・・何に役立つだ!・・
俺なんかいなくても・・・ずっと考えていた。
死のうと思った事もある・・・・石狩川・・・旭橋・・・欄干の上・・
harueさんの顔が浮かび・・・・止めた。

店番をしていて・・・・バス待ちのおばあちゃんにお茶をいれてだしたら~
いい子だね~♪ありがとう!」・・頭をなぜてくれた
その手のぬくもりと優しい笑顔が嬉しくって・・・・
俺でも・・・駄目な俺でも・・・何か人の役に立てるんだ!
人の役にたてる・・・・そんな風にふっと思ってから急激にkatsundoは変わりました。
この経験が無かったら商売をしようなんて考えなかったでしょう!
それがkatsundoの第一番目の大変身。

中学校の時はあまり人づきあいはあまり上手くないが・・・人にあわせることができる ようになり学級役員などしていた。
成績は500人中30番以内はキープしてた。
勉強はしなかったが授業だけは集中して聞いていたから・・・その程度の成績は残せた。

katsuyaさんはこのごろが一番仕事が充実して忙しい時期だったと思う。
ほとんど一緒にすごした記憶がない。

ただそんな父katsuyaさんは男として好きでした。
男として客観的に見ても魅力的だし社会人として尊敬していました。
ただ父親としては尊敬してはいなかった。

大川家の食事は5分で終わります。モクモクと会話も無く食べる!
喋ると怒られた・・・祖母hisaさんに・・箸で手を叩かれる!
酷いときはデレキで叩かれたり・・・
katsundoは箒の柄で歯を折られたこともある・・・・・

ある日・・・harueさんが一日入院して帰って来たことがある・・・
買物に付き合って・・と・・・
私の肩に手を沿え・・・・やっと歩いて・・・
hisaさんが「病気じゃないんだから・・・と・・・」一言~
harueさん・・・・さすがに寂しそうな顔をした・・・・「お兄ちゃんだけが頼りだから・・ 」と・・・そのときのharueさんの顔は一生忘れない。
いつも笑顔のharueさんが・・・みせた怒りの顔を・・
今・・・思えば・・・・仏壇のかこ帳を見れば法名が乗っているので・・
病気ではなかった事がわかる。

中学校・高校と・・・katsuyaさんとの会話した記憶がほとんどない。
会話をするようになったのは大学に入ってからです。

大学4年のとき・・・katsuyaさんから突然呼び出しが入った。
明日・・・東京に出張で行くので会いたいと・・
銀座のすし屋で待ち合わせをした。

その頃・・旭川日産は帯広、釧路、北見、旭川に分社化した時期でした。
分社化はkatsuyaさんが自ら本社と相談して決めたようだ。
役員の中でも本社とは一番信用があったみたいです。
それで旭川日産を解体し・・・4つの会社に分社化。
katsuyaさんは帯広を取り・・・経営に携わっていたが・・・
株主とのそりが合わず
・・・突然東京に現れ・・・私を呼び出し会社を辞めると言った。
お前はこれからどうするんだ・・・と・・・katsuyaさん

katsundo・・・
長男だから市役所か旭川の会社勤めをする。旭川に帰るよと・・
30歳になったら夢である商売をするからと・・・
何をするんだと・・・katsuyaさん・・・
レストランをしたいと・・・katsundo(バイトはほとんど飲食業をしていた)

大学3年のときにharueさんからは・・・お兄ちゃんが大学卒業したらお父さんと
わかれるからと・・
相談を受けた・・・
harueさん・・・katsundoにいいかいと・・・
katsundo・・・harueさんの人生だからいいよと・・答えていた。

katsuyaさんキットそんなことも察知したのかもしれない。

それなら何かチャントした商売を考えよう・・・となり・・・
大川家全員で初めて相談した。その結果・・・
考え付いたのはメガネ屋と本屋でした。
将来性をとってメガネ屋をする事になり東京の眼鏡学校に
tatuyaくんと一緒に入り・・・5年・・・katsundoは三軒茶屋の
ツバメ屋眼鏡店・・tatuyaくんは高円寺のツバメ屋眼鏡店に丁稚奉公!
この5年間、katsuyaさんは不動産業で暮らしを立てていた。

katsundo27歳のときに旭川にもどり、katsuyaさんとtatsuyaくんとでメガネサロン北斗を作った。

18年前の10月・・・・harueさんが65歳のとき・・・
tatuyaくんは結婚して次男のtomoの出産の時、tatuyaくんはharueさんに食事を作って貰って一緒に食事をしていた。
ある日harueさんと昼食中に突然崩れ落ちた。
脳梗塞・・・・
救急車で病院に運ぶが重症!

毎日・・・tatuyaくんとkatsundo・・・1日2回マッサージに行った。
さすがにタフなharueさんも・・・今度ばかりは弱音を吐いた。
もう駄目だと・・・・あの笑顔がない!
こんなharueさんは初めて見ました。

その頃・・同時にkatsuyaさんも体調不良・・・近所の医者に通っていたのですが・・・
harueさんが入院したのでharueさんの看病や商売のこともあり・・
katsuyaさんも近所の医者に入院する事になりました。

2月・・・・どうもkatsuyaさんの様子がおかしいのでtatuyaくんが日赤に連れて行った。
katsuyaさんは神経質なところがあるから
近所の医者で各種の検査はまめにしていたので安心していたのだが・・・
結果は・・・・えっ~
診断:直腸癌・・・肝臓に転移 ステージ4 残りの人生3ヶ月と告知される。

それから・・・katsundoは悩んだが・・katsuyaさんには告知はしない事に・・
katsuyaさん・・・・見た目より繊細・・・知らせないで対処する事にした。
このことをベットでやっと起き上がれるようになったharueさんに
どう知らせるか・・・・・悩んだ・・・苦しんだ。
katsuyaさんには嘘・・・そして・・・
腹を開くだけの手術!
4月に入り・・リハビリを頑張って数歩・・・歩けるようになったharueさんを連れて katsuyaさんのところに見舞いに行った。
4月末・・・・harueさんに「後・・・幾日もkatsuyaさんが生きれないから」と
告げた。寂しそうな目・・・・2度目だharueさんの涙!

5月5日・・・・・
店を閉め・・・日赤へ・・・・katsundoは車の中・・
tatuyaくんにkatsuyaさんの様子を見に行ってもらった。
tatuyaくんが戻ってきて・・・やばい・・・・兄貴・・・見に行ったほうが・・・
行かないと・・・・
私・・は
死期が近いのは分かっていたので、この時は意識的に会うことを避けた。
家に帰り・・・・真夜中に・・危篤と病院から電話・・・
到着したときには意識が無かった。
突然・・・・katsuyaさんの死が訪れた!

心を閉ざした!
涙を見せないと・・・弱さを見せないと・・
やっと私の肩に摑まって歩けるようになったharueさんを大事にすると
心に決めたのだが・・?
お通夜/葬儀/遺産相続手続き・・・・事務的に・・・淡々と・・
こなし・・商店街・・・・
お店・・・・とこの17年間やってきた。

3年前にある覚悟から店の業態を変え
大きく方向転換してきた。
自分の顔も精悍になったと思う。

今年に入り順調に来て・・・・どこかに隙と慢心が出てきた。
顔に表れていたな・・・ここ3ヶ月嫌な顔をしていたと思う。
すぐ調子こく・・・性格は直らない。

自分を見つめなおし、心の奥まで今回は自分の心の中に入ってみた。
hisaさんの事・・・
katsuyaさんのこと・・・・父親として認めていない自分・・
hisaさんとの問題・・・・katsuyaさんとの言葉に表現できない問題!
素直に許せるようになった。

今日、お墓にいって謝ってきた。
ごめんなさい。ありがとう!
katsuyaさんと・・・そして親爺と・・・声に出して謝った!
ゴメン!

涙は出なかったが~気持ちが安らいだ。

3度目のkatsundoの大変身です。

これからのkatsundoは違いますよ。

では又~
長々と書いてしまい申し訳ありませんでした。
自分の気持ちを書いておきたかったのと
ミクシーのお仲間に私の暗い部分も知っておいてもらうこと
も必要と感じたものですから・・・
それと娘や甥も見ているので・・知っていて欲しかった。
面と向かって子供にはなかなか言えないのでね。

これですっきり自分の夢に向かって
踏み出します!
GO!

 まだまだ父を越える事が出来ない。
父を越えるために死ぬまで挑戦するよ。

harueさん関連の日記→コチラ

10月に父katsuyaさんの27回忌と母harueさんの7回忌をしなければね。
そろそろ寺や身内に案内状をださないといけない。

 では又~
^0^~katsundo