メガネサロン北斗1

私が専修大学3年の春の時に、父katsuyaさんが東京に来た。
相談があるから銀座に出てこないかと連絡があり。
二人で話しをした。
私は「会社を辞めようと思う」。
「お前はどうするんだ。」
父とそんな人生に係わる話をしたのは初めての経験だった。
katsuyaさんは旭川日産の前身の自動車会社に
尋常小学校を卒業後、戦前から勤めて40代で役員になり北見で支店長。
40代後半で旭川日産を解体分社化をし、
北見、帯広、釧路、旭川に分けて、
この頃は帯広日産にいたはず。
多くは語らなかったが51歳で辞める事になった。
私は多分、「長男なので旭川に戻り勤める。お袋の事も心配なので取りあえず就職する。30才過ぎたら辞めて商売(飲食業)をするつもり。」
そんな話を漠然とした。
「それなら一緒に商売をしないか」と言う話になったと思う。
夏休みに帰った時、tatsuyaを交えての初めての家族会議。
どんな商売するか話し合った。
本屋かメガネ屋がいいのではないかと言う話になった。
本屋は委託なので在庫を持たなくってすむ、メガネ屋はこれから高齢化社会になるのでいいのではと言う話になり。
結論は粗利の大きさとこれから高齢化になる社会情勢を考え、大川家としてメガネ屋する事に決定。
メガネ屋になるにはどうしたらよいか
調べていくと東京と大阪にメガネ専門学校がある事が判り、
私が大学を卒業後、tatsuyが高校を卒業後一緒に入学する事にした。
katsuyaさんは取りあえず古物商と不動産業で食べて行く事になり。母harueさんは、この頃ポーラ化粧品の営業していたので食べる事には問題がなかったようだ。母のおかげで私は大学、妹のhirokoは東京の短大をださせてもらった
店舗物件は4年後までにkatsuyaさんに探してもらう事になり、
我々は眼鏡学校に通い始めた。
私は学校に通いながら三軒茶屋のツバメヤ眼鏡店、tatsuyaは高円寺のツバメヤ眼鏡店4年半勤めて、
私が27歳、tatsuyaが22歳にそれぞれの店を辞めて
㈱メガネサロン 北斗を昭和52年2月に設立、代表取締役はkatsuyaさん、専務は私、常務はtatsuya。
4月10日、
雪のちらつく日にオープンした。
katsuyaさんには経理をしてもらった。
メガネの事は判らないkatsuyaさんでしたが、経理のイロハと経営の事に関して厳しく叩き込まれた。
どんな小さな店でも経営感覚を持たないと駄目だと口を酸っぱくなるほど叩き込まれた。
平成2年5月katsuyaさんが71歳で亡くなり、私が41歳で社長。
父親が亡くなって、やっと半人前から2/3前になった。
平成3年に店舗を大改装。
平成17年55歳で業態を変える決断。
そして平成19年10月にharueさんが亡くなり。
やっと経営者として一人前。
人間としてはまだまだ半人前です。
自分で決めてるつもりでも、親がいるとどこかに頼ってる自分がいる。
今は、最後の決断は自分しかいない。
来週からeyewearshop 北斗の大改装が3か月かけて行う。
最初目指しサロン化がやっとできる。
これからの10年は、世代交代と次に向かうためのeyewearshop 北斗の大きな挑戦になる。

 では又~
^0^~katsundo