eyewearshop 北斗

母の命日8年目

- ライフワーク

午前中、母harueさんに会いに・・・kazukoさんと一緒にお墓へ行ってきました。
二人で墓まわりの草を取り、綺麗にお掃除。
そしてお参りをしてきましたよ。

harueさんが亡くなって8年になります。
この年は色々の事があった年でした。
特に10月は大変でした・・・・・同窓会、初めてのIOFTでの公演、商店街視察準備等めじろ押しでした。
何か転機点の時には色んなことが重なります。

旭川北高同窓会の東京同窓会に出席していた時、
同窓会が終わり、新宿にいた時にtatsuyaくんから電話が入った。
harueさんの治療についての相談だった。

今でもこの決断を思い出すと心を締め付けられる。

そんな様子をブログに書いたのが母の1周忌の時です。

その時の日記→こちら

暫くmixi日記の更新ができなくなると思います。お許しください。
7月におこなう予定だったLIVEも中止にしたのは下記のためです。
日常営業は何とか気持ちは保てたのですがLIVEやオフ会はモヂベーションを
高めてお客様を楽しませる事が難しかったのでおこなわないで来ました。
重ね重ねお詫びします。

母harueさんの容態が悪くなりました。
7月14日の背中が痛いと言い始め主治医に行ったところ、黄疸症状も出ていて
道北病院に転院で検査。
harueさん50代で胆嚢を取っています。65歳で脳梗塞・・・
今回は膵臓に腫瘍が見つかりステージ4でした。
その影響で胆管を詰らせ肝臓から出ている胆汁が逆流して痛みと黄疸が出ていました。
逆流は手術でチューブを入れ改善されましたが。

腫瘍手術はできる状態ではなく、選択肢は抗癌剤治療するか、しないかの選択をせまられました。
結論は抗癌剤治療はしない事とharueさんには告知しない事にしました。
この決断も辛かった。私は閻魔大王か???
8月15日に道北病院を退院させ10月1日まで自宅で普通に家族と一緒に暮らせましたが、
10月1日に痛みを訴え再入院。

10月4日、私が新宿にいる時にtatuyaくんから電話、普段冷静なtatuyaくんが動揺していました。
肺炎を併発し肺の機能が低下、その治療をすると血液の凝固出るかもしれないので治療方法についての決断をせまられたのと延命処置についてでした。

結論7月の時点で抗癌剤治療をしないと決めたのだから、治療をしてもらう事と延命処置はしなくていいからと指示しました。5日に旭川に帰って来て小康状態が続いていてホットしました。
私もharueさんとこの60年間のありがとうを親子の会話の中で伝える事ができました。
harueさんから人を許す気持ちといつも笑顔でいることを教えられた・・・
どれだけharueさんの笑顔で家族が癒されたか分かりません。
harueさん・・・人の為の人生84年間でしたが・・・
本当にharueさんは幸せだったのか疑問が湧き、病床でharueさんに尋ねました
harueさん幸せだったよと言ってくれました。
もう一度生まれ変わったらharueさんの子供になりたいと言ったら・・・
断られた。(笑)^^
本当に手のかかる我儘な息子だったからなぁ~^o^/~katsundoは・・・

8日から何度か危ない状態が続きましたが頑張ってくれていますが・・・
後は何日もつか・・・
後は静かに家族で看取るだけになりました。

似顔絵を描くときに美人に描いてねと言われたが
美人に書けなかったなぁ~

 暗い話でごめんなさい!<(_ _)>
この後秋の展示会の日記を書きます。

では又~
katsundo

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