旭山動物園からの帰り車の中で聞いたこと・・・
「日本人は単一民族だと言うけど~違うよ」とクルトさん
Theoで中国の人たちの顔を分類した時・・・大きく分けて8パターンだったそうです。
多民族国家の中国は8パターンですか。

「日本人は幾つのパターンだったと思うと」クルトさん~♪

「わからない???」と^o^/~katsundo

「にや~っと(笑)」笑いながらクルトさん。
「私たちの調査では日本人は28パターンに分類されるよと・・・。」

「エツ~そんなに多いのと・・」^o^/~katsundo
びっくっりです!多くって^o^/~katsundoは10パタンぐらいだと思っていました。

クルトさんと旭川駅で

「一つの国でこれだけの顔のパターンがあるのは珍しいよと・・・・
完全に混血ですね日本人は・・・」とクルトさん!
多くの民族が日本にはいり…小さな島国の中で同化していった民族なんでしょうね。
だから日本語の表現には言葉のはしはしに中庸の概念が多いのかもしれない。(笑)
そんな風に勝手に思ってる^o^/~katsundoです。

中庸:【Wikipediaからの引用です】

中庸」の「中」とは、偏らない、しかし、決して過不及の中間をとりさえすればよいという意味ではない。よく、中途半端や50対50の真ん中と勘違い されている。中間、平均値、足して2で割るというものではない。常に、その時々の物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚でも理解できるもの である。

「庸」については、朱子は、「庸、平常也」と「庸」を「平常」と解釈しており、鄭玄は「・・・庸猶常也言徳常行也言常謹也」と「庸」を「常」と解釈 している。「庸」が「常」という意味を含んでいることは二人とも指摘している。現在、多くの学者たちは「庸」が「平凡」と「恒常」との両方の意味を含んで いると見ているほか、「庸」は「用」であるという説もある。[2]つまり、中の道を「用いる」という意味だというのである。

中庸の徳を常に発揮することは聖人でも難しい半面、学問をした人間にしか発揮できないものではなく、誰にでも発揮することの出来るものでもある。恒常的にいつも発揮することが、難しいことから、中庸は儒教の倫理学的な側面における行為の基準をなす最高概念であるとされる。

^o^/~katsundoも店頭でお客様の顔を見ていていつも厭きない。
この人のフェイスラインにどんなメガネのラインが似合うか、いつも考えています。
だからいつも下手な似顔絵を描きたくなるのかもしれません。(笑)
いろいろな表情が日本人にあるのを知らず知らずに^o^/~katsundoも感じていました。

それともう一つクルトさんから教わりました。
2011年からここ3年がとっても大事な時だよと・・・
^o^/~katsundoも常にそう思っています。

「今チャレンジ、投資をしない店は5年後は無いよと・・・」
流暢な日本語で話してくれました。
毎年、毎年・・・繰り返し挑戦していく事が5年後の土台を作ると・・・
今の日本のメガネ業界は流されているだけ、200年~500年に一度の世界的な価値観の大きなうねりが来ている時なのに!
最大のチャンスだよと・・・
今チャレンジした店だけが5年後のスタートラインに立てると・・・・クルトさんは言っていました。

売れない理由を、どの店にいってもこんな斬新なデザイン/カラーは売れない。
田舎だから購買するお客様は居ない。
もう少し値段が安ければ???オンパレード!
ベルギーのTheo本家は取扱店を絞りながら売り上げを伸ばしているそうです。

「Theoを買うお客様が居ると思っていると・・・お客様は居るのではなくって・・・
Theoの良さ、メガネの良さをお客様に伝え、
かけたくないメガネから、かけたら楽しくなるTheoを提案する事が、新たなTheoのお客様を作り出し、ファンが増えて行くよと・・・・」クルトさん。
LABYRINTHの影郎さんと同じことをクルトさんも言っている。

福岡の4-ADさんは凄いよねと・・・クルトさんと・・・」^0^~katsundoが話を振ると・・・
mao店長は凄いと、ほかの女性スタッフも楽しんでメガネを販売していると言っていました。

2010IOFTで

最近の4-ADさんのイベントは^0^~katsundoも凄いと思います。
店長上田茉緒ちゃんのチャレンジに負けないように^o^/~katsundoも努力します。
近い将来Theoを扱えるような店になりたいと思ってます。
まだまだこれから発展途上のeyewearshop 北斗です。

福岡4-ADさんにお邪魔した時の日記はコチラ

では又~
^o^/~katsundo