昨日は 忙しく・・・ブログに穴をあけてしまいました。ごめんなさい~○┓ペコ
会社名は株式会社北斗で登記したのは昭和52年2月でした。
昭和51年12月に私は三軒茶屋にあったツバメヤ眼鏡店を、
tatuyaくんは高円寺にあるツバメヤ眼鏡店辞めて4月10日から店を始めた。
店を始めるきっかけは私が大学4年の時に父が上京して
旭川日産の役員を辞めると突然言われた。
3年前に父の考えで分社化(旭川、帯広、釧路、北見)をして、
自分は帯広の会社を選び働いていたが・・・
多分、地元の役員さんたちと意見が合わなくなり辞める決意をしたのだと
思います。
父が52才の時です。
【父が30代・・・会社の社員旅行の時昭和25年頃の写真】
もの心ついて男同士として、父とじっくり将来の事について
話し合ったのは初めてかもしれない。
父から相談されて嬉しかった。
銀座の寿司屋で、
長男なので旭川に帰り勤める事・・・30才過ぎたら商売をする・・・
見たいなぁ話をした。
それじゃ一緒に商売をしようという話になり・・・
それからの話をはしょると・・・
結論は眼鏡屋をする事にした。
理由・・・これから高齢化社会になる事でメガネの需要は増えると判断したからです。
高校卒業のtatuyaくんも誘い。
当時上馬にあった眼鏡学校に行きながら、
そこで眼鏡学校の加工技術講師と理事をしていた
ツバメヤ眼鏡店杉谷勝美社長のところで私は修業する事になり
5年近くお世話になりました。
tatuyaくんは親戚筋の高円寺のツバメヤ眼鏡店で修業する事になりました。
毎日毎日切り傷だらけの手で接客をしていた。
当時はガラスレンズでプラスチックレンズなんか無い時代!(笑)
レンズ径も65㎜にやっとなったころです。
眼鏡学校の一期生は猛者が多かった。番頭さんのOさんも一期生・・・・
よく一期生の先輩たちからいろいろな加工・検眼技術的な事も教わりました。
そして足かかけ5年にわたる修行も無事終わり円満退社!
終わりぎわに番頭さんからお前は不器用で
ものにならないかと思ったけど・・・
よくやったなぁ・・・と言われた。
この時も嬉しかったなぁ~♪
私は褒められると育つ方なので~(笑)
【眼鏡学校時代、妹hirokoと母harueさんと京都旅行をした時写した写真】
【25才の頃・・・一番痩せていたかも~♪】
父が社長で実質tatuyaくんと二人で北斗を切り盛りしはじめた。
27歳と22歳・・・・
なにも判らずに若いから飛び込んだんだろうなぁ。
今考えると・・・よく父も任せてくれたもんだ。
感謝です。
【昭和55年ぐらいの店頭写真】
名前をつけるにあたって店名に自分の名前を使う事はまったく考えなかった。
メガネの大川なんて・・・なんか様にならないような気がして・・・
その選択肢はまったくなかった。
それと次の世代の選択肢には
身内が後継者でなくてもいいと考えていた節があります。
それで大川にはしませんでした。
その時から100年続く店作りを生意気にも考えていたのかもしれない。
ひとつは発音を三文字の屋号にしたかったのがあります。
発声すると3文字ぐらいが人の記憶に残りやすいからです。
「ホ・・・ク・・・ト・・・」
そんな事を頭に入れながら3人で考えた名前・・・は・・
北半球にすんでいると重要な星が北極星。
北斗七星は旅・航海の時に方向を確認する時に北極星をさがす目印になる星です。
北極星を探すときはわかりやすい形の北斗七星を
さがしだしメラク(β)からドゥーベ(α)に引いた線を
5倍延長すると北極星があります。
北極星は明るい星と思いがちですが
北斗七星と同じ2等星なので他の星に紛れて発見しにくいですが
わかりやすい形の北斗七星を探す事で簡単に発見できます。
3音で北の眼鏡屋としてはいいのではないかという事で店名に
「北斗」を使う事にしたのが店名の由来です。
地域の眼鏡屋として、北斗七星のように・・・
そこに必要不可欠の店になりたいと思ったから
北斗とつけました。
【平成3年改装時の店内】
店名→メガネサロン北斗昭和52→ホクトメガネ平成3年→
eyewearshop 北斗平成15年
と変わってきましたが・・・・
メガネサロンと言う書き出しが好きです。
北斗が地域文化の発信拠点として自信がついたら・・・
メガネサロン北斗に戻すかもしれません。
【平成22年4月大改装】
長々と書きましたが店名の由来でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
では又~
^0^~katsundo
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