私が22才、tatsuyaが18才のときに・・・・・
父勝也さんから相談を受けた。

日産系の地方ディラーの役員だった勝也さん、
戦前から車屋、学歴もなくたたき上げの役員でした。
会社の分社化も終え・・・・いろいろあったのだと思います・・・突然東京に来て・・・・
私に言いました「会社を辞める!」
katsundo:「えっ!」

「突然だが生活の事は大丈夫だから~♪」「お前は大学を卒業したらどうする?」

katsundo:「あさひかわに戻る!就職して30才の時に商売をしたいと思ってる。」

「そうか!それなら・・・大川家で商いをしないか!」

katsundo:「どんな?」

「そうだなぁ!委託が主な本屋か・・・うん~!家族全員が目が悪いからメガネ屋はどうだ!」・・・・これから高齢化社会が始まるしメガネ屋がいいかもなぁ!
「tatsuyaにも相談してみるか」

そんな感じでメガネ屋を家族でやることになった。
私が大学4年の夏でした。tatsuyaは高校3年生・・・・
全く経験がないメガネ屋、上馬の眼鏡学校入ることに、
眼鏡学校に通いながらkatsundoは眼鏡学校の役員をやっていた三軒茶屋のツバメヤへ就職、tatsuyaは親戚の高円寺のツバメヤさんへ就職・・・・
そして・・・・5年後に今の場所旭川市の大町に開業した。
私たちが学んでいた5年間は勝也さん友人の不動産屋さんに籍を置き、
不動産業で生計を立てていた。
この父の域は・・・・いまだに越えられない。

当初は普通のメガネ屋さん。
私が35才(昭和60年)の時に父に引退を勧告。

平成2年に父勝也さんが死去、私が代表取締役に就任。
平成3年に札幌の設計事務所に頼み大改装。

28才にkazukoさん結婚子供4人が出来、tatsuyaも結婚子供が3人できた。
何とか2家族が食べれていた。
儲かりはしなかったが・・・・
子供が思春期にはkazukoさんもパートにでてくれ、
贅沢はしなかったから何とかなったんだなぁ~(^_-)-☆

今の形態にしたのは私が55才の時です。
気が付けば人生の終盤・・・・
そこから又、メガネを楽しむ事を選択した。
そんなメガネ屋人生ですが、
今が楽しいと言えるのには感謝です!(^^♪


今回のIOFTでの講演・・・・
終盤の話だけでも、かいつまんでも軽く1時間以上はかかる、
これを35分にまとめるのは至難の業だなぁ。

では又~
katsundo