LABYRINTHの在庫が心細くなったので、
影郎さんに問い合わせを今しています。
eyewearshop 北斗が影郎さんに発注したファイルブックを見たら、こんなものが出てきた。
影郎さんと初めて会ったのは札幌で行われたヤブシタさんの展示会の時。
この展示会で初めて影郎さんと会い、
居酒屋に飲みに誘ったのが北斗の転機になった。
それが2005.6.15だ。
2004年、eyewearshop 北斗の店頭には影郎さんがデザインしたMixageが10本、影郎が10本程度の在庫だった。
そこから業態転換を初めて10年が過ぎたんだ。
早いもんです。
この頃はまだメタルの作品が作られていなく、プラ枠の作品だけだった。
その時の生地サンプル!
col.56やcol.58はの作品を、
その当時は接客テクニックもなく、
tatsuyaくんと二人で・・・・どうやって販売するか悩んだものでした。
今では懐かしい思い出!(笑)(^O^)
NUDE、TABUはとっても懐かしい作品です。
【NUDE】
【TABU】
【作品カタログ1】
【作品カタログ2】
影郎作品と初めて取り扱った時に送られてきた接客の注意事項です。
こんな事が書かれていた。
私はこの業界で20年間勤務いたしましたが、「メガネもおしゃれの一部」と認知されてからもおそらくそれくらい経つでしょう。しかし、めまぐるしく進化し発展して行くファッション業界の中で、ファッションやアートとしてのメガネの存在は思ったほど浸透していないのが現状です。
たとえば記念撮影をするときにメガネを外す女性が多いですよね。
そんな方にとってのメガネとはファッションの小道具とは言えず「見るための器具」でしかありません。安さも機能性も大切な要素かもしれませんが、更なる安さや更なる機能性をいまさら追求する気は私にはありません。
私の役割は
「自分の中に潜む新たな自分が発見できる喜び」
アイウエアの持つそんなパワーを最大限に引き出したいということです。
この時で20年だから、
現在30年たったことになるが、メガネ業界はこの状態から一歩も進んでいないように思う。
さらに悪化していると感じるのは私だけなんだろうか~!(>_<)
これを見て鯖江の工場を訪れようと思った。
自分が販売するメガネのルーツを知らないで販売している事が恥ずかしかった。
そして多くの出逢いを鯖江でいただいた。
それがeyewearshop 北斗の財産になっている。
あの時行動しなければ、今の北斗はない。
これからのeyewearshop 北斗の10年を作るために、
又、新たな行動を起こす。
夢は果てしなく続く~♪
それを実現すのは1歩を踏み出すちょっとした自分の勇気だと言う事を、
この64年の人生で少し学んだことが私の財産です。
ちょっとした勇気(easy bravery)を持たなくなった時が
私の引退時期かなぁ~♪
easy bravery(ちょっとした勇気):
eyewearshop 北斗オリジナルSilver作品(メガネホルダー等)につけたブランド名です。
では又~
^0^~katsundo
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