初代旭川みずほ通商店街振興組合の故佐藤繁雄理事長から頂いた8mmフイルムが多数ある。亡くなられる前、
娘さんの所に引っ越しされ、ある日遊びに来られて・・・
「大川君に預けるから、どのようにしてもいいよ!」と言われた。
その頃から商店街とは、
縁を切った経緯を佐藤さんは知っていたはずなのだが、
何故か私のところに持ってきた。
昭和の年末大売出しの風景等が写されている貴重なフイルムだ。
これをどうしようか悩み中。
市に寄贈するのが一番いいのかもしれない。
佐藤さんの事を書いた日記は→コチラ
【この写真も佐藤さんから頂いた写真 本町の六差路】
【旭町2条3丁目 北門歯科、近文市場が写ってる】
【護国神社前交差点】
【護国神社前交差点】】
商店街が法人化して30年の時、
私が編集した小雑誌からコピーした商店街絵図。
市電は昭和5年5月2.57㌔が複線化で開通、11月に春光の6号まで4.06㌔が複線化で開通。
旭川駅から6号まで6.63㌔
【昭和30年ごろのもの、まだ路面電車が走って頃です。大町2条、大町1条。市電は昭和31年6月に廃線。】
【大町1条、旭町2条】
3つの市場、2つの映画館、1つの劇場、1つの酒蔵がありました。
延長2キロにわたって商店がびっしり軒を連ねていました。
旭川市以北の庶民の台所、農産物の集荷場所として賑わっていました。
昨日、久しぶりに来店された旭川市のTさんと
玉響(たまゆら)のカウンターで
街づくりと商店街と個店の話をさせてもらった。
商店街、街づくり、大学等の教育に関しても、
北海道の価値をもう一度考えながら・・・
世界と競争できるものを持たないと
旭川の明日は無い。
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、オセアニア・・・日本中から
ゆっくりと買い物するなら旭川、
のんびり時間を楽しみ保養するなら旭川、
世界で通用する教育をうけるなら旭川、
学んだ人材が世界に飛び立ち戻ってくる旭川、
そんな街にしないとね
全国綺麗なだけの金太郎飴のような
なんの魅力もない街は必要ない。
eyewearshop 北斗は小さいながらも
商店街に頼るのではなく、
「店内は街の賑わいステーション」 を合言葉に
自ら地域のコミュニティ機能を
店内に作りながら
世界に通用するメガネ店を目指して来た。
これからも歩は遅いけど少しずつ努力して行きます。
そんな話を2時間程coffeeを飲みながら話をさせてもらいました。
楽しい時間でした。
Tさんは年下ですが、
お互い刺激をし合いながら学ばせていただいています。○┓ペコ
では又~
^0^~katsundo
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