みずほ通商店街の思い出。
【企画書は私が製作。子供たちのイベントは年間5~6回やっていた。】
一番の思い出は寿市場を改造して行った「みずほ自由市場」の開催だ。
1985年、私が35歳の時です。
31年前の話です。
今で言うフリーマーケットを開催した。
最初におこなったのが市場の掃除、
青年部の全員を集めて行ったが・・・・全員の反応は現場を見てやめようだった。(笑)
あまりにも汚くひどかったからです。
トラックでどのぐらいゴミを捨てに行ったか覚えていない。
当時のみずほ通り青年部会長は土井、私が副会長でした。
企画書を作り、趣旨を青年部部員に理解してもらうのに連日会議をした。
青年部部員を一人一人説得し、2か月かけてが壁を壊したり、自分たちで電気配線をしたり。
連日、夜中まで工事していた。
出店者を集めるのが一番苦労した。
自分たちの交友関係から伝手を探ったが・・・
殆どなく。部員からは殆ど出てこない。
市の商工部に話に行き、木工、陶芸などの紹介してもらったり、
西武百貨店に出店していた手づくりグループにアプローチ。
私が作った拙い手書き企画書を持って、毎日のように出店を一人一人説得して回った。
集客の目玉として産直を考え・・・・
北海道商店街振興組合連合会の事務局の協力も得て、
産直のために網走、根室と全道を飛び回ってお願いしました。
【自由市場会場の見取り図。映画館、DJコーナー、紙芝居、Live、産直等】
【出店は58店を数えた。】
【私の手がきのチラシ。】
【私がPOP文字で書いた認定書】
翌年旭川商店街振興組合連合会が開催した商店街大学「旭川適塾」、
これも思い出深い。
多くの商店街の理事長が反対されましたが、
佐藤理事長、安井専務理事の決断により、
旭川商店街振興組合連合会の殆どの予算をつぎ込み、
5年にわたり若手経営者の育成事業に力を入れてもらいました。
運営、カリキュラムは塾生自ら考え企画した旭川適塾。
経験未熟な塾頭の私をサポートしてくれた旭川商店街振興組合連合会O事務局長、
平和通商店街振興組合N事務局長には感謝してしきれない。
では又~
^0^~katsundo
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