eyewearshop 北斗

オイルショック

- 日常

eyewearshop北斗は4月10日で47年目に入る。
よくここまできたもんだ~♪(^^♪
この50年で起きた経済危機を考えてみると・・・・
1973年10月に起きたのが第一次オイルショック。

1973年(昭和48年)10月、中東の産油国が原油価格を70%引き上げたことを受け、のちに「狂乱物価」といわれるようなインフレが発生したことを第1次オイルショックと呼んでいます。

当時の中曽根通産大臣がテレビ番組内で「紙の節約」を呼びかけたことから、
10月下旬にかけて「紙が無くなるらしい」という噂が全国に広まったといわれています。
そして11月、大阪市のスーパーで発生したトイレットペーパー買い占め騒ぎが報道されたことをきっかけに、
日本中の小売店の店頭から洗剤、砂糖、塩、しょう油までもが消えることになりました。
トイレットペーパーの価格は、1.5倍程度まで上昇し、3倍から4倍の値段をつけても売り切れたといわれています。

第2次オイルショックは1978年~1980にかけておきました。
1977年4月に店を作り・・・すぐに起きたのが第2次オイルショック。
店を出してすぐ50%引きの全国チェーンが旭川に出来た。
この時も厳しかったなぁ~。
家族のバックアップもあってtatsuyaと二人で協力して乗り切った。

1978年にOPEC(石油輸出国機構)が段階的に原油価格の大幅値上げを実施したことに加え、
1979年2月のイラン革命や1980年9月に勃発したイラン・イラク戦争の影響が重なり、
国際原油価格は約3年間で約2.7倍にも跳ね上がりました。

1986年~1991年の好景気の時代・・・
あまり好景気の恩恵を受けた記憶がない。
この時は4人の子供育てるのに必死だったなぁ。(^^♪

1990年父が亡くなり、1991年に大改装。
改装資金の返済に追われていた。

2006年鯖江に行き、
eyewearshop北斗の業態を変える決意をする。
その後スーパー大工シップさんと知り合い、2007年から8度の改装を繰り返している。

2008年9月に起きたリーマンショック

2008年9月、アメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが破綻し、
それを契機として広がった世界的な株価下落、金融不安(危機)、同時不況を総称する。
同社は低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)を証券化し販売したが、
住宅バブルの崩壊とともに、結局は負債総額約6000億ドル(約64兆円)という空前の破たんを招いた。
リーマンブラザーズ社の破たんは連鎖的に大手金融機関の経営危機を招き、
金融危機を加速化させるに至った。

これも乗り越え・・・・
スタッフにmasahiroが加わり戦力アップ。
後継者のめども立った。

2019年12月初旬に中国の武漢市,で第1例目の感染者が出て,
わずか数カ月ほどの間に世界に広がったコロナ。

色んな事があったが・・・・


2023年はいい年にする。
新しい戦力megumiも加わり、春にはウィンドーを改装する予定。

まだまだ挑戦していくよ!

では又~
katsundo

eyewearshop北斗の次の時代を背負うmasahiroとmegumiに伝えていることは
店は小さく強くあり続けるための5か条・・・・

  • 店は旭川から離れない
  • どんなに経営が順調でも多店舗化はしない
  • 通信販売はしない
  • 毎日情報発信をすること
  • 発信は自分の考え体験を話すこと

コメント

お気軽にコメントよろしくね

コメントを投稿する

メールアドレスが公開されることはありません。