eyewearshop 北斗

歩いていて父のことを思い出した

- 日常

戦前から父は旭川日産の前身の会社に勤めていた。
姉1人妹2人と母・・・
稼ぎは父一人、あまり体は強い方でなかったので・・・
徴兵まえに満州に渡ったそうです。
そこで運輸関係の仕事をしていたと聴いています。
終戦半年前、日本はまけるなぁ・・・と思い・・・
旭川にもどってきたそうです。
稼ぎ頭の父が亡くなると、大川家は餓死すると、父は考えてみたいです。
帰って来て石狩川で釣りをしていると憲兵に呼び止められたそうです。
「いい若い者が釣りなどして、非国民!」と言われたそうです。
その時父は「俺は満州で銃弾のしたを潜り抜けて、帰って来たばかりだと・・・」
そう言うと憲兵は黙って去ったそうです。←父は満州時代のことはあまり話したがらなかった。

父が50代の時・・・・・私が大学を卒業するときに父から呼び出しがかかった。
銀座の寿司屋で父と話した。
役員をしていた会社を辞めると言われた。
「経済的な事は問題ないようにするので・・・・
お前は大学を卒業してどうするんだ」と言われた。
「長男なので旭川に戻り会社務めをするよ。30過ぎまでに資金を貯めてレストランをしたい」と答えた。

それなら大川家で商いをしよう!
家に戻った時に家族で相談しようという事になった。
家族会議で本屋かメガネ屋がいいんじゃないか。
これから高齢化社会になるので、
メガネ屋がいいのではないかと言う結論になりました。
それから色々調べ東京にメガネ学校があることがわかりtatsuyaと2人、
午前中はメガネ専門学校に通い、
午後からメガネ屋に勤めることになりました。
専門学校の理事をしていた三軒茶屋のツバメヤ屋眼鏡店、
tatsuyaは親せきの高円寺のツバメヤ眼鏡店に就職。

その間父は不動産業で生計を立てていた。
私が27才、tatsuyaが22才の時に旭川に戻り、
47年前2月に(株)北斗を設立。
4月10日にオープンさせて・・・・今に至ります。
初代社長は大川勝也、父が71才で死去、私が41才の時でした。
どんな小さな会社でも大きな会社でも経営することは同じ。
経営学については父から学んだことが大きかった。

小柄な父でしたが、
背中は大きな父でした。

ふと思った事を書いてみました。

では又~
katsundo

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